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日常のおもしろいこと。考えた色んなこと。

三浦春馬さんのことをつい考えちゃうよね

 正直なところ、最近まで興味がなかったというのが本音である。

 しかし、動画でキンキーブーツ のローラを見たとき、この人は本物だと思った。声がほんとにいい〜。

 お前の目が節穴と言われてしまうかもしれないけれど、実は三浦さんはいわゆるイケメン俳優(お顔の印象が強く、シンボリックでそこが1番の魅力の俳優さん)ではないと思っている。どちらかというとクセのないきれいなお顔をされていたので、何にでも染まれる、役者向きのいいお顔だったと思う。

 お顔も演技ももちろん素晴らしいのだが、この人の常人離れしたところは歌声だと思う。黒人に近い厚みのある高音がすんばらしかった。高音て細くなりがちなんだけれども、バリバリ日本人のサムライ体型であれを出せるとは本人の努力もあると思うけれども、こればかりは天武の才だったと思う。つくづくほんとに惜しい出来事だったと思う。これを言ってはだが、時間が遡って欲しいと思う。

 

 各種報道でご家族についても触れられているが、これは本当にやめてあげて欲しい。ご家族は今耐えがたい、受け入れがたい悲しみの底にいることは間違いない。そんな方達へ会ったこともないのに記事やらそれについてのコメントやらをあれこれ恥ずかしげもなく書く人達の神経を疑うというか、書いている時点で関わりを辞めた方がいい人発見器状態なので、まぁ逆にいいのかも。ほんとに恥を知らない人って多いのだなと思う。

 春馬さんと出会わせてくれてありがとう、産んで、育ててくださってありがとうという思いは抱いても、間違っても批判する気持ちになんてなれる訳がない。それを…お察しである。

 

 とは言っても春馬さんなぜ、というクエスチョンは私も止まらない。色々な妄想も広がってしまう。(以下私の想像も書いてあるので、気分が悪く感じられた方は読まないでください。)

 もちろん私はスターになったこともなければ、経験してきたことも違うので、当然ご本人がどんな思いでいらしたのかは分かるはずもない。

 それでも同年代のキラキラした成功をつかんだ人がなくなってしまったこと、悲しいというか悔しいというかそんな感情である。自分の少ない経験の中から、あの時のあんな気持ちに近かったのかな、こんな状況に似てたんじゃないかなんてがんばって少ない経験値からパズルの余白を埋めようとしてしまう。分かるはずもないのだが。

 でも30歳くらいになると、誰しも色々もがいてきた歴史を持っているはずで幼少期から背負ってきたもの、過ごしずつ下ろせてくることも多い気もするのだ。春馬さんも色んなことに折り合いはつけながら生きてきていたんではないかと思う。

 個人的な妄想でしかないのだが、春馬さんは人よりアンテナと発信器が強い人だったのではないかと思う。春馬さんは器用な方に見えるので、大量に入ってくる色んなことを時にはうまく、時にはなんとか、処理してこられたのだと思う。

 春馬さん色んなインタビューを見る限りとても真面目な方である。

 アンテナが鋭い人は人より多くの情報を得てしまうので、処理に非常に難儀することが多い。というよりいつもその処理に追われていると言っても過言ではない。側からは余裕があるように見えても、頭の中がフル稼働、ともするとパニックで疲れ切っていることが多いのだ。性格的なものとして、他の人以上に常に切迫感というのと隣り合わせで生きていた可能性もあるなと思う。

 そして一人になると翌日までの短時間で頭の中の大量の情報の棚卸しをしなくてはいけない。自分の思い、本能を覆い隠すほどの情報やそれに付随する感情を処理する必要がある。

 気を休められなかった…のではないか。混乱する頭の中で衝動的に、とは言えないが、もしもその日、飲み会があったら、誰かから電話があったら、テレビをつけたら面白い番組だったとか、何か今とは違った現実もあったんじゃないかと想像してしまう。そして新たな人生のステージを迎えられたらもっとより新しい春馬さんが見られたのではないかと…。

 亡くなられた人の気持ちを邪推するなんて、自分自身とんだ悪趣味だとは思うが、まだこの考えのループはもうすこし、続いてしまいそうな気もする。

 

 天馬のように美しく、強く生き抜いていた春馬さん。今はただ、ただ、ご冥福をお祈りするのみである。