Nanoのはてなブログ

日常のおもしろいこと。考えた色んなこと。

眞子さまと小室さんのこれからについて思うこと

日本は今、非常に国防上の危機に晒されている。

台湾有事も近いと言われる中、日本の国体に関わることには敏感になるべきだと思う。

 

この度残念ながら、小室圭さんの試験不合格が発表された。

色々思うことはあるが、私は税金を使ってもお二人の生活は日本が責任を持って支えるべきだと思う。

成人して、皇室も離脱したお二人に何故そんな特別扱いをという声もわかる。

しかし、国民の税金をどこにペイするかという観点で考えると、一つのリスク回避としての投資先としてありだと思う。

 

これは過去の歴史からも言えることだが、歴史上、放脱した王族がどうなったかをよく考えて見てほしい。それは芽吹いていない権力の種が、外国に利用されるリスクと隣り合わせだ。

 

エドワード8世

アメリカ人女性のウォリスシンプソン婦人と結婚し、フランスなどで生活。王位は諦め、王冠を捨てた恋と言われた。しかし第二次世界大戦中、ナチスドイツと懇意になった噂があり、意識していたかは分からないが、図らずも祖国 英国に対するスパイ活動につながったとも言われている。戦後は、フランスで孤独な最後を迎えた。

 

愛新覚羅 溥儀

清朝の最後の皇帝。清朝のち、日本の関東軍満州に進出、満州国樹立のシンボルとして、利用されてしまった。実権は関東軍にあり、愛新覚羅 溥儀はシンボルとしての役割しかなかった。

 

こういうことが、起きうるのだ。

何が、王族の方々をこういうことに進ませてしまうのかといえば、王族という人々からの無条件の敬愛や何不自由ない生活から、全てを失った時、人から認められたい、必要とされたいという強い孤独ややはりこれまでに体験したことのない生活の不安から、心身ともに追い込まれ、これらを満たしてくれる人に運命を委ねてしまうのだろう。

 

先日の眞子さま、小室さんの会見からも非常に危険な兆候を感じた。眞子さまはすでに日本にいては四面楚歌のような感覚をお持ちだろうし、小室さんもなかなか強い上昇思考を感じさせる方だ。

そこに来て、弁護士試験に受からなくては望むような生活レベルが得られないという現実だ。次の試験で受かってくれればいいが、その後も安定してお仕事が続けられる方か…不安も大分ある。これまでもどうかは分からないが、もしもそこに甘い言葉をささやく、外国の方がパトロンとして現れたら…?

孤独と生活の不安 この二つが揃った状態で、しかもお二人のこれまでを見ていても、申し訳ないが、あまり理性的な判断をなされるとは思えないのである。

下手したらとある国の先進都市(上○など)に大きなお家を買ってもらって、とある国の政治団体の広告塔として、アイドルかの如くご活躍の後、沖縄にお引越しされて、その政治信条の布教にご尽力…お子様は政治団体の寄付で外国へ優雅にご留学なんてシナリオも想像してしまう。

もしも元皇族である眞子さまが変わってしまったお立場で「沖縄は日本ではない」なんて発言しようものなら…?

 

そんなリスクを起こさないためにも、お二人には日本国民全員暖かい目線で応援し、なんとか日本に愛着を取り戻していただき、国民のお金でお支えして何不自由ない生活を送っておいていただく、(鈴をつけさせていただく)ほかないのでは…と残念ながら思ってしまう。

ゆくゆくは日本にお戻り頂ければ理想的である。

 

理性的なご判断力をお持ちの方なら、こんな必要はないと思うが、日本人もいよいよ現実を受け入れて、大極的に税金の使い道を考えなくてはいけないと思う。例え、1円2円しか皇室にはいかないといっても、それで、リスク回避できるなら安いものだ…とさえ思ってしまう。

 

はぁ…。

 

 

 

 

眞子さまのご結婚会見を宿曜的にちょっと考えてみる

眞子さまの会見については別記事で書いたが、あの会見自体は畢宿な眞子さまのキャラクターそして、角宿の小室さんのキャラクターが全面に表れた会見だったと思う。

 

畢宿というと思い出すのは、タピオカ騒動で「事務所総動員で〜」を繰り出した木下優樹菜ちゃんである。

今回の会見はまさに、眞子さまからの「事務所総動員で〜」である。

畢宿は胆力があり、粘り強い。だから3年も心願成就を待つことができる。その心はというと「欲しいものは何が何でも欲しい」である。

木下優樹菜ちゃんもタレント活動を手放せない様子から分かるが、畢宿には闘牛の牛みたいなエネルギーがあり、欲しいものがあるとそこに向けて一直線になり、周りが見えなくなってしまうときがある。

同じく「欲しいものは何が何でも欲しい」タイプの胃宿はもうちょっと利口で、「手段を選ばない」というやり方を知っているが、畢宿にはそれがない。なので、一直線に欲しいもの、したい事、言いたいことに突き進んでしまい、結果として「手段を選べない」人達なのである。

 

一方、角宿の小室さんはどうか?前回の会見では台本がかなり作り込まれていたので、本来のお人柄がなかなか見えなかったが、今日は角宿の良いところが出ていた反面、状況的に裏目に出てしまっていたようにも思う。

角宿は明るく、朗らかで、楽天的、基本は無邪気な子供みたいなエネルギーの人達である。また根は真面目なので色々な人に可愛がられやすい。

ちなみに男女で多少差があり、男性だと無邪気な子供(あいついい奴だよ〜と言われるタイプ)、女性だと勉強もよくできて、明るくお利口さんな子供のイメージ(皇后雅子様も角宿)の方が多い。

人に好かれやすい要素をたくさん持っている人達だ。しかし、今日の会見ではその明るいポジティブさがちょっと裏目に出ていて、ちょっとヘラヘラしてる?!と見えてしまった。

闘牛モードの眞子さまと対比するようなポジティブなムードの小室さん…。

これが、日常生活であれば、芯の強い奥さんを旦那さんがまぁまぁとなだめて、でもしっかりするところは奥さんがしっかり締めるといういい夫婦に映るのだが、この偏見タップリな状況だと神妙な面持ちをしておくぐらいの悪知恵は働かせておいても、良かったかもしれない。

お二人の相性は栄親の遠距離。なかなか良い相性である。だから世間体を抜きで考えると小室さんも内助の功を得て、なかなかすごい実績を積んではいるのだが、一連の騒動については、ちょっと畢宿のクセが強く出てしまったかもしれない。これから2人で夫婦と世間体とのいいバランスを見つけていってもらいたい。

月と太陽、というより北風と太陽?!の方がしっくりくるかな?というカップルです。

(今回は畢宿のクセについて書いてしまいましたが、畢宿もいいところは沢山ある宿です。どんな宿にも良いところ、ちょっと困ったところがあります。なので誤解なきよう。また畢宿のいいところは改めて触れられたらと思います。)

 

ちなみに眞子さまの妹さんの佳子さまについても少し考えてみる。佳子様の結婚については、ちょっとした予想だが、そんなに早くないかもしれないと思う。

佳子さまは萁宿。眞子さまの畢宿とは、真っ直ぐで熱いエネルギーが似ているが、本質は結構違う。萁宿がまっすぐなのは、欲しいものに対してではなく、自分の信念や道徳に対してである。だから、今回のことで眞子さまを応援されていたのも、純粋に嘘か誠かわからない情報を根拠に姉を傷つけた相手や倫理観に疑問のある週刊誌に対してだろう。

しかし、萁宿はものや自分の感情に対しては実はあまり強い欲求がない。根っからの正義(と思うもの)の味方である。だから、自分が間違えてるかも、と思うと言動を振り返ったりもする。(宮内庁職員に相談事もよくされているとか?!ちなみに眞子さまはあまりなさらなかったらしい。その違いも面白い。)それはいつでも正しいものに忠実でありたいという気持ちからである。

ちなみにフィギュアスケーター浅田真央さんも萁宿だが、五輪で某政治家にイヤミを言われた時も、比較的大人な対応をしている。これは先述の畢宿であると、今日の眞子さまみたいな受け答えになると思うが、萁宿のほうが、理性的に物事を見ているので、熱血そうに見えて真央ちゃんのような大人な反応が出来ることが多い。でもちゃんと大人な毒をまぜる。

 

以前ご結婚の予定は?との記者からの質問に「今後もお答えするつもりはありません」と答えていらしたが、これはただ売り言葉に買い言葉ではなく、日頃から佳子様の中で何か信念になっている考え方があるからだろう。確かに婚約すらもしていなければ、不確かな情報をそこで話すわけにもいかないし、こんな人がいいなど言ってしまえば、また意味不明な記事のネタにもされかねない。注目度の高い佳子様のこと、ちょっと刺激的ではあるが先々に渡って、マスコミとの間に不要なストレス、憶測、争いを生まないために、なかなかの好手だったかもしれない…と今となっては思う。

 

またダンスについても度々週刊誌ネタにされているが、その後の続報は結構ないものが多い。これは何か取り上げられる度、佳子様がそれなりに周囲を見て、現実的に対応しているからではないかと思う。世間を見て好きな趣味や生きがいまで曲げる必要はない。

(皇室の方の趣味が乗馬や弦楽器でなくてもよいはず。そこまで否定されたらそれこそ人権侵害甚だしい。)

これが周りが全く見えていなければ、今頃、全く気にせず全国ダンスコンクールや巷のイベントでド派手に踊って、週刊誌記者の良い飯のタネになっていてもおかしくない。現実に折り合いをつけながら楽しんでいらっしゃるように感じる。

 

では佳子様の結婚はどうなるかと予測すると、同じ萁宿の上野樹里ちゃんみたいになればいいなと思う。いわゆる三方良しな結婚である。

自分が良いと思った時に良いと思った相手とするので、そんなに焦ってすることはしないのではないかな、というふうに感じる。

萁宿は結構、客観的に色んなことを見ている。でも正義の味方みたいな人だから、ちょっとびっくりする熱さはあるけど、根本的には気持ちの良い人たちで、人には好かれやすい人たちである。

だから佳子様からの眞子さまへのお別れ際のハグは、純粋な姉妹への愛情や応援のまっすぐできれいな気持ちに溢れていて、あの一瞬に多くの人が心を奪われたんではないかなと思う。

なので、佳子様の結婚は結構安心して見ていていいんじゃないかな〜と予測する。

 

最後におまけで悠仁様はどうか?

悠仁様、実は今上天皇陛下と同じ 危宿である。危宿は本質を見る目があり、かつ世の中を冷静に分析して見る力もある(オリラジの中田あっちゃんなど)また、不思議なスター性があり、ミッキーマウスみたいな、いるとつい引き寄せられてしまうような不思議な魅力の持ち主だ。

天皇陛下雅子様という、先見の明としか言いようがないお妃選びをされている。

なので、悠仁様も割と安心して見ていて良いのではないかな〜と思います。

 

そんなわけで、大変長文となりましたが、何の事実も根拠もない個人の妄想ブログですが、読んでくださった方ありがとうございました。

(ここに書いてある内容はあくまで、著者の感想、妄想です。全く事実に基づいたものではございませんので、悪しからず…。)

眞子さまの会見を見て思ったこと

うまくねぇなぁ〜…

 

の一言に尽きる。

 

眞子さまが1番望んでいるのは、平穏な生活のはず。

 

あの会見をやったら、自分が1番望むものから遠ざかってしまうことが、分からなかったか…。

 

これから色々人生経験を積んでいただければ…。

 

人生の1番大事なところでは絶対に感情で動いてはいけない。

感情で動いてうまくいくのはお伽話の中だけだよ。

 

大事なところほどクールに行かないといけない。

 

あの会見…やりようによっては完全にひっくり返せた可能性が高かった。

 

しかし成功させるだけの人生経験が眞子さま、そして小室さんにもないことに本人達が気づいていなかった。

 

むしろご本人達は成功と思い、今頃祝杯をあげられているかもしれないが…

 

実際に自分がしたことの結果は自分で被らないといけないということが、多分分かっていらっしゃらないんだろうな…と感じられた。

 

人は1人では生きられない。

しかし、好きな人だけに助けてもらえるわけではない。

好きではない人からも回り回って助けられている。

そのことに気づくか気づかないかで、随分その後の人生の豊かさは変わってくる。

 

側から見ると、ギャングのアジトに丸腰で乗り込んで行って、中指立てて、「あ〜悪い奴らにいっぱつ食らわしてやったわ!スッキリしたー!」

というように見えました。ハイ…。あまりひどい目に遭わないことを祈るばかりですけれども。

 

やはり、新入社員で判断できないことってあって、言うなれば、新入社員に株主総会での説明をさせちゃったみたいな…。周りの人もうちょっとなんとかフォローしたれよ…みたいな…。つまり新入社員は何が分かってないのかを分かってないわけですね。

 

目的のための手段を間違えては幸せにはなれません。幸せになるためには心技体、全部必要なのです。

足りないものは補う事を知らなくてはいけません。

 

おそまつさまでした…。

眞子さまの結婚に思うこと

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6405862

眞子さま複雑性PTSDを患っておられるという。

 

原因は分かりやすく、ご結婚についての誹謗中傷ということだと思うが、

 

個人的には今回の結婚は初めはどちらでもいいとは思っていたが、今となってはやめておいた方が…とも思う。

 

小室さんやそのご家族が実際にどんな人なのか、経歴や色々な疑惑と言われているようなものが本当のところはどうなのかは誰にも分からない。

眞子さまも小室さんを思い続けているので、きっとたくさんの魅力を持った方なのだろう。

 

しかし、やめた方がいい理由は1つ、完全に三方悪しの状態となっているからだ。

心のままに生きることは大切だ。だけど、現に心を壊してしまっている現状は省みてみるべきだと思う。

このまま進んで幸せになれそうか?と。

幸せとはピンポイントで決まるものではない。日常の中の色んなことの平均値だ。ここが結婚は生活と言われる所以だと思う。

 

例えば、お金持ちと結婚したい人がお金持ちと結婚できた。恋愛で好きな人と結婚できた。その点では幸せと言えるが、例えばお金持ちの夫がとんでもない浮気症だったら?

夫の浮気なんて気にしない人は、特に不幸にはならないかもしれないし、気にする人は不幸になるだろう。

すると同じ好きな人と結婚という幸せポイントを見たとしても、当然色んなことを平均すると幸せな結婚になる人と、幸せではない結婚になる人が出てくる。

お相手と結婚して幸せになりたいと思うこと自体は悪いことではない。

しかし、幸せとは感じていない現状があるなら、出来ることは三つだ。

 

1つはやめてしまうこと。そもそも人間はそんなにストレスに耐えて生きれるほど強くはない。強そうに見える人もどこかでバランスを取れているだけだ。

 

2つ目は覚悟を決めること。幸せになれなくてもいいと覚悟を決めれば、色んなことの心理的ハードルが下がる。彼の愛や世間のお祝いで幸せにしてもらうのではなく、矛盾するようだが、自分は自分で幸せにすると腹を括ることだ。誰も祝ってくれなくても、自分で祝うから幸せという境地まで至れるかどうかである。そこまでいけば何があっても幸せだ。結婚式も自分で好きにやればいい。

 

3つ目は絶対に幸せになると覚悟を決めることだ。これは最も心技体が求められる。つまり、現実をありのままに受け入れて、その上で現実で何をすれば幸せになれる状況になるか、そしてそれを実行し続けるということだ。

大前提として、小室さんがどんなにいい方であっても、国民が大騒ぎする結婚だ、とありのままの事実を受け入れられないと、有効な手立ては取れない。正論だけで通らないことは世の中いくらでもある、これが現実だ。

その過程はひどく苦しいし、報われない気もするが、現実を見つめて対処し、幸せになるまで諦めないということだ。

自分の幸せについて自分が理解しておくことも必要だ。なぜなら全てを手に入れることは、ほぼ不可能だからだ。お金があれば幸せなのか、愛さえあれば幸せなのか。どちらもほどほどに必要なのか。全部必要なら、とんでもない量の汗を自分自身が、かく必要がある。自分の現実は、自分の行動によってしか変わらないからだ。

 

もう一つ、結婚というのは本当に不思議で、理性だけでも、感情だけでも上手くいかないと思う。結婚にはかなり ご縁 が大きいと思う。

 

どのような顛末を経るにせよ、眞子さまご自身が自らの手で、明るい前途をつかみ取れることを願っている。基本的に自分を幸せに出来るのは自分しかいない、だから人から何かをしてもらえた時は「ありがたい、すなわち有り難い」ことなのだ。自分の心も究極には自分で守らなくてはいけないのだ。(例えば誹謗中傷を見るのをやめるとか、どのみちやるべきことが変わらないのならば、見なくても何も実害はないし、遥かに精神衛生上いい。人の意見は聞き始めると、終わりがないし、キリがないからだ。他人の意見はあくまで人の意見だからだ。)

メーガンさん、そらそうでしょうよ

デーブスペクター氏が「メーガン妃の発言はいただけない」という見解の記事をいくつか目にしたが、私もほぼ同じ意見である。

白人が君主の国家に行って、王室なんて特に血統ビジネスの最たるところに黒人が行けば何もないはずないでしょうよ、というのが主な感想。

綺麗な人なのでインスタで見てるのは好きなんだけれども、やってることは確かにいただけないと思う。

なんというか、防火服着ているヘンリー王子がいる燃えてる家に丸裸で自ら飛び込んでいって、「わたし、火傷したの!ひどいでしょ!」って言っているような言動ばかりだなと感じるのであります。

ヘンリー王子も本当に大切な人なら、この家に呼び寄せると彼女にどんな火の粉が降りかかるのか考えてからにしないと、それで彼女が火傷してしまった!ってそらそうでしょうよ、、、というとんだちゃんちゃら喜劇みたいに感じる。

(王族の方々に対して大変失礼ではあるが)

ウィリアム王子が結婚はよく考えよ、と弟君に伝えたのも、結果が誰がどう見ても明らかで、弟とその配偶者には幸せになって欲しかったからなんだろうなぁと思う。恋は盲目の恐ろしさよ、である。

メーガンさん綺麗だからインスタとかで頑張ればいいのにね。

逆にあらゆることに覚悟を決めて、その中で全部飲み込んで立場を築いていったら歴史的な人物にもなっていたと思うし、世界中の王政、皇政のニュースタンダードの礎になっていた可能性だってある、っていうかそうだと思ってたのですげー人だな、と思ったら違ったみたいだった。

とりあえず頑張ってください、としか言えない。

 

ネットニュースはファンタジー

最近ネットニュースに登ると炎上するという事象がよく見られるようになった。

よくテレビを見るとバカになるというが、テレビの公共放送はある程度情報の取捨選択されているので、確実性の高い情報が多いと思うが、ネットニュースの情報はかなり千差万別だ。

希少性の高い情報もあれば、なんだか笑っちゃうような記事もある。

特に最近だと皇室のお相手絡みの情報がわんさか載っている。みんな記事が上がると我先にとチェックして、怒ったり、ほっとしたりしているが、びっくりするのはみんなネットニュースを「信じている」のだろうかということだ。

滑稽に思えるのは、子供がコロコロコミックを買って毎週ドキドキハラハラしたり、青年がジャンプを買ってドキドキハラハラ、時には敵に怒りを覚えたり、、、これと何が違うのかと思ってしまう。

コメント欄を見ていると、毎日ネットニュースに載せられるお話をみんな心待ちにしてチェックし、本気で怒ったりしている人が1000人時には5000人などいることに驚いてしまう。

誰がそれを「事実だ」と保証してくれるのだろう。

ただ、ジャンプの敵役に怒ってコメントを書き込むのとの違いは、ニュースに出てくるのは実在の人物ということだ。みんな自分の生活圏とは違う世界の話だと思うからこそ、そこに書いてある嘘か誠かもわからない話に怒ったり、時には罵詈雑言投げつけるんだと思う。そこに書いてある話はファンタジーかもしれないが、登場人物は生身の人間だということを忘れてはいけない。

そうでなければ、私たちは相手から見ればただただ「妄想に振り回されて誹謗中傷してくる人」でしかないのだから。

 

辞書上だと「知能の働きが鈍いこと」を残念ながら「馬鹿」と定義している。

ネットニュースを見ることは悪いことではない。大切な情報収集だ。

だけれども「ネットニュースを見て馬鹿になる」は避けなくてはいけない。

三浦春馬さんのことをつい考えちゃうよね

 正直なところ、最近まで興味がなかったというのが本音である。

 しかし、動画でキンキーブーツ のローラを見たとき、この人は本物だと思った。声がほんとにいい〜。

 お前の目が節穴と言われてしまうかもしれないけれど、実は三浦さんはいわゆるイケメン俳優(お顔の印象が強く、シンボリックでそこが1番の魅力の俳優さん)ではないと思っている。どちらかというとクセのないきれいなお顔をされていたので、何にでも染まれる、役者向きのいいお顔だったと思う。

 お顔も演技ももちろん素晴らしいのだが、この人の常人離れしたところは歌声だと思う。黒人に近い厚みのある高音がすんばらしかった。高音て細くなりがちなんだけれども、バリバリ日本人のサムライ体型であれを出せるとは本人の努力もあると思うけれども、こればかりは天武の才だったと思う。つくづくほんとに惜しい出来事だったと思う。これを言ってはだが、時間が遡って欲しいと思う。

 

 各種報道でご家族についても触れられているが、これは本当にやめてあげて欲しい。ご家族は今耐えがたい、受け入れがたい悲しみの底にいることは間違いない。そんな方達へ会ったこともないのに記事やらそれについてのコメントやらをあれこれ恥ずかしげもなく書く人達の神経を疑うというか、書いている時点で関わりを辞めた方がいい人発見器状態なので、まぁ逆にいいのかも。ほんとに恥を知らない人って多いのだなと思う。

 春馬さんと出会わせてくれてありがとう、産んで、育ててくださってありがとうという思いは抱いても、間違っても批判する気持ちになんてなれる訳がない。それを…お察しである。

 

 とは言っても春馬さんなぜ、というクエスチョンは私も止まらない。色々な妄想も広がってしまう。(以下私の想像も書いてあるので、気分が悪く感じられた方は読まないでください。)

 もちろん私はスターになったこともなければ、経験してきたことも違うので、当然ご本人がどんな思いでいらしたのかは分かるはずもない。

 それでも同年代のキラキラした成功をつかんだ人がなくなってしまったこと、悲しいというか悔しいというかそんな感情である。自分の少ない経験の中から、あの時のあんな気持ちに近かったのかな、こんな状況に似てたんじゃないかなんてがんばって少ない経験値からパズルの余白を埋めようとしてしまう。分かるはずもないのだが。

 でも30歳くらいになると、誰しも色々もがいてきた歴史を持っているはずで幼少期から背負ってきたもの、過ごしずつ下ろせてくることも多い気もするのだ。春馬さんも色んなことに折り合いはつけながら生きてきていたんではないかと思う。

 個人的な妄想でしかないのだが、春馬さんは人よりアンテナと発信器が強い人だったのではないかと思う。春馬さんは器用な方に見えるので、大量に入ってくる色んなことを時にはうまく、時にはなんとか、処理してこられたのだと思う。

 春馬さん色んなインタビューを見る限りとても真面目な方である。

 アンテナが鋭い人は人より多くの情報を得てしまうので、処理に非常に難儀することが多い。というよりいつもその処理に追われていると言っても過言ではない。側からは余裕があるように見えても、頭の中がフル稼働、ともするとパニックで疲れ切っていることが多いのだ。性格的なものとして、他の人以上に常に切迫感というのと隣り合わせで生きていた可能性もあるなと思う。

 そして一人になると翌日までの短時間で頭の中の大量の情報の棚卸しをしなくてはいけない。自分の思い、本能を覆い隠すほどの情報やそれに付随する感情を処理する必要がある。

 気を休められなかった…のではないか。混乱する頭の中で衝動的に、とは言えないが、もしもその日、飲み会があったら、誰かから電話があったら、テレビをつけたら面白い番組だったとか、何か今とは違った現実もあったんじゃないかと想像してしまう。そして新たな人生のステージを迎えられたらもっとより新しい春馬さんが見られたのではないかと…。

 亡くなられた人の気持ちを邪推するなんて、自分自身とんだ悪趣味だとは思うが、まだこの考えのループはもうすこし、続いてしまいそうな気もする。

 

 天馬のように美しく、強く生き抜いていた春馬さん。今はただ、ただ、ご冥福をお祈りするのみである。